みなさんこんにちは
本日20年ぶりの新札が発行されました。新一万円は渋沢栄一です。デザイン的には数字の部分が極めてダサいと感じます。インバウンドで外国人が使用することを念頭に置いているということを聞いたことがありますが、それだったらこれまでも、札の端っこに10000って書いてますよね。こうして、また日本人は外国におもねってしまうのかと悲しい気持ちにもなります。また、私は、常々一万円札はずっと聖徳太子で良いと思っている派です。そんな私ですが、おそらく初めて新札に出会う時は、ちょっと得した気分になるのでしょう、結局。
それはさておき、渋沢栄一さんです。「論語と算盤」で有名な方です。栄一さんがなぜ「論語と算盤」を書いたかというと、明治維新後に日本が急に国際社会に投げ出された時代に、特に経済において、それまでの儒教で教えられてきた、商売は汚いものという日本人の認識を改めなければ、外国にいいようにやられて、負けてしまうという思いから書かれたものだそうです。(諸説あると思いますが)
儒教の教科書的なものが論語になります。これは古代中国で孔子という人が教え広めた儒学を弟子たちが編纂したものになります。これがなぜ海を渡って、日本まで広がったかというと、中国漢の時代に皇帝が国を治める装置として利用したのがきっかけです。儒教(儒学)というのは、社会における道徳を定めたものだったので、都合が良かったんですね。
それでは、日本で始めに儒教を政治利用したのは誰でしょうか、それは旧一万円札の聖徳太子だったそうです。少し前から、聖徳太子実はいなかった説なるものが、流布されていますが、どちらにしても飛鳥時代あたりの権力者によって、広められたようです。
このような流れで、日本に儒教(論語)が入ってきて、およそ千数百年、しっかりと日本の人の心に根付いた道徳心ですが、これが邪魔して商売に集中できないやんか!と渋沢栄一さんは思ったのですね。
そこで、栄一さんは儒教を勉強しなおしてみると、孔子は道徳を説く中で商売で儲けることが悪い事なんて言ってないことに気付くわけです。要は、のちの統治者たちが国を治めやすいように孔子の教えをカスタマイズしてたんですね。
それから、栄一さんは「論語と算盤」という本で、儲けることと道徳は両立するんだよ!と発表したわけです。(ちなみに経緯については大いに私の想像が入っています。)
しかしながら、表面的には会社が利益を得ることに表立って批判する風潮は抑えられていると感じますが、昨今の値上げに対する異常なまでの日本人の拒否反応をみると、やはり千数百年の儒教による教えの影響は色濃く残っていると感じます。本家の中国はとっくに影響を感じさせませんが(笑)
コメント